ちょいちょいお邪魔するブログに
転載されていた記事です。
深く深く共感してしまいました。
この想いご紹介したいので転載します^^
実際に文部科学省はすでに『軽度発達障害』という表現を止めています。
それぐらいこの『軽度』という言葉には誤解、落とし穴があると思われるのです。
“軽度発達障害”
この言葉を 頭を真っ白にして口に出して読んでみましょう。
ただ単純に “発達に障害があるけど 軽度(軽い)のか・・”って思ってしまいませんか?
最近では 一般の方もこの“軽度発達障害”という言葉をよく耳にするようになりました。
私がこの言葉とであったのは、まだ自分から この言葉に歩み寄っていかないと情報がない
ずっとずっと前です。
はじめてこの言葉を耳にし、目でこの文字を読んだときに 素直に感じたことが
“なんか発達に障害があるけど、軽いんだ・・”です。
そこから 様々な本と出合い、様々な研修に行き、たくさんの保護者の方に出会い
“軽度”の意味の重さを知りました。
まずはじめに このたびは“軽度発達障害の困難さ”に焦点をあてた話であり
“重度障害児に対して楽だ”といっているのではありません。
重度には重度の困難さがあり 悩みももちろんあります。
ただ 軽度発達障害に焦点をあてた話だということをご理解いただきたいと思います。
発達障害とは 機能的な障害(発達障害の基本は脳の問題・中枢神経系の問題)が
軽い障害との総称として 使用されています。
ただ 機能的な問題が 軽度だからといって その子の将来・育てやすさが軽度という意味では
ないという事を 知っていただきたいと思います。
それは 外見(外からその人を見た感じ)は普通であるということに その子のしんどさがあります。
考え方によっては 見た感じは普通なのであるから 障害の事がわからなくていいという見解も・・。
果たしてそうなのかな?って疑問です。
人は いつもめがねをかけている人が めがねを忘れた日に ミスをしてしまっても
“今日はめがねをわすれてるもんな・・そんな日もあるか”って温かく見守ってあげることができます。
補聴器をつけている人に対して質問をして 何度も繰り返し同じ事を聞かれても
丁寧に何度も同じ事を言ってあげれるし、より伝わるように噛み砕いて説明したり
配慮する努力・理解させてあげようとする努力をするのではないでしょうか・・・
足の不自由な人が階段を一生懸命あがっていたら、少し手を貸してあげようと感じるものです。
軽度発達障害児は このほかの人にわかってもらう為の手段が まったくないのです。
視覚的なLD(学習障害)のある子どもは 視力には問題はありません。
視力は良好・・でも文字などのバランスを脳で処理するところにしんどさがあるために
何度注意されても 文字にミスが目立ちます。
聴覚的な問題のある子どもは 通常の生活での聞き取りに問題は特にありません。
しかし 環境によっては(さわがしかったり、体調が悪かったり)聞き取りの困難さが顔を出します。
よって「何回同じ事をいわすの?」「どうしてわからないの?」「聞いてたの?」と
注意されるか、うんざりされてしまいます。
自閉傾向のある子どもの中には 体の動かし方が上手だとはいえない子がいます。
一生懸命参加しているけど、どうしてもぎこちなかったり・・・不器用だったり・・
ご飯を何度いってもこぼしてしまったり、集団で取り組む遊びに上手に参加できなかったり・・。
よって注意されたり 仲間はずれにされたりと とてもつらい思いをすることもあります。
がんばっているのに出来ない自分を好きになれるのかな?って疑問を感じます。
どんどん“自分なんて・・”“誰もわかってくれない”と
自分を否定していくのではないでしょうか・・
早期発見・早期療育・早期支援の大切さは この自己否定感を 自己肯定感に変化させるためにも
とても重要です。
思春期までに自分のしんどさに向き合い 自己コントロール(助けてほしいときは人に要求できる力)
できる能力を身につけ 自分は自分でもいいんだという自己肯定感を育てることが 将来を大きくかえ
ると感じています。
軽度発達障害児に関わる親はもちろんのこと、周りの大人の少しの理解が 子どもたちの心を
救ってあげることが出来ると思います。
“わざとしないのではなく”“がんばっていても困難なことがある”
そのことを理解してあげることで 少し言葉のかけ方や 接し方 配慮についても
変わってくるのではないかと思います。
“軽度”だから “平均”に追いつくのでは・・と感じるのは親として当然だと思います。
しかし “軽度”といえども “障害”なのです。
とても現実的な話ですが、“治る病気”ではないのです。
完全に治ることはありませんが、あきらめることはないと思います。
治らなければ 生きていくために必要な
“適応する力の引き出し”をつくってあげれば順応できます。
健常者社会で 引き出しを器用に利用しながら働いている人もたくさんいます。
結婚してこどももいて生活している方もたくさんいます。
障害名はここ何年かのデビューなので 障害児という言葉に気持ちがふさぐ時期もあると思います。
でもここ何年かで有名になり 注目されているのは障害名だけであって
もっともっと前から かならず存在していたはず。
クラスにいませんでしたか?
世の中が移り変わり 呼ばれ方がかわっただけです。
障害名に反応しすぎることはよくないと思います。
障害名があるからこそ、この子は支援してもらえるのだと前向きに考えてみてはいかがですか?
生きるための引き出しがいることは 健常児も同じです。
ただ 引き出しの数が障害児のほうが多いだけのこと・・
この引き出しつくりは大変なことです。積み重ねで引き出しは増えていく・・。
障害名があるからこそ 引き出しつくりに専門家も手を貸してくれる。
私は 子育ての中で ラッキーだと感じています。
気持ちがふさいでいる時期は 心に隙間はないものです。
大丈夫・・いつか心に隙間ができますよ・・・
心の隙間が出来たときに 読んでいただければと思います。
転載元 : 『☆cyokiチョキchikuチクkakiカキでご機嫌さんや☆』
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