回顧録・・

檸檬の出席ノート

檸檬が保育所に入所した頃
言葉は二語文への発展途上にありました。
そして、排泄の自立も遅く
まだ、昼間もオムツが取れずにいました。
他にもいろいろな面で発達の遅れが顕著に表に出ていたはずです。

普通なら『どうして?』という疑問から始まり
からかいの対象になっていくと思われました。

しかし、同じクラスの子達は違いました。
『どうして?』の次に
その理由を一生懸命幼い頭で考えてくれたようです。
そして結論が・・

『私たちは4月からカレンダーが始まっているけど
檸檬ちゃんは12月からカレンダーが始まっているからや。

だから私たちが檸檬ちゃんに教えてあげないといけないんや。』

と。

どうやら入所した時期のことや出席ノートのことを言っているようでした。

ベテランの担任の先生からそれを聞かされたときは
驚き、涙が思わず出ました。
子供たちのありのままの檸檬を受け入れてくれる素直さ、
その子達をはぐくんできた親御さんたちをはじめとする地域の方々、
そしてその環境を大切にしてきている保育所に
感謝しました。

とても不便なところだけど
それだけに街中の子達が失ってしまったものを
この地域の子達は持っています。

今もその子達に檸檬は支えられています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

檸檬、保育所へ

療育教室へ通って一年ほどした頃
檸檬はドクターの勧めもあり
保育所へ入所しました。
コミュニケーションの障碍を持っているけど
定型発達の子供達と接することは
発達にいい刺激となるからです。

うちの市では障碍児の実質的な受け入れができるのは
公立保育所でした。
唯一保育所だけが加配保育士をつけることを保証してくれていました。
加配保育士というのは障碍を持つその子専任の保育士さんです。

あとの幼稚園や保育園はそこの運営状況に任せられているという
状態です。
園によっては受け入れの地点で断られたりしたり
受け入れても十分な対応ができなかったり・・とあるようでした。
もちろん、『自分たちの勉強として』と受け入れて下さる園もありましたが
うちからは遠いところにありました。

実質的な受け入れをするといっても保育所には親が働いていないとならず
障碍児がいるから就業が免除されるということはありませんでした。
他の市町村では障碍児枠というのがあり
その枠で入所する子の親は就業が免除されるというところもあるようです。

障碍児がいると
療育教室や訓練、医療機関にかかるなど
時間的に就業にはハンディがあります。

うちの市では就業免除はできないけれど
規定の就業時間は少し考慮させてもらうと回答をいただきました。

そこで一日あたり4時間以上を週3日以上でという規定でしたが
私は3時間半という短いパートを始めました。
しかし、週5日勤務だったので
週での総勤務時間は規定以上あったはずなんですが。

生きていくために働くのに子供を保育所に入れるというのが普通ですが
実は私のようにこういう保育所の入れ方をしている親御さんがいるわけです。

Li0d1

うちの地域は農業集落で
いわば昔から保育所は幼稚園代わりでもありました。
むしろ幼稚園へ入れようとすると
「どうしてわざわざ遠い幼稚園へ預けに行くの?」と
聞かれるような、そんなお土地柄でした。

中には親子2代、3代と保育所にお世話になっているという家も。
3世代で同居も珍しくないそんなお土地柄です。

加配保育士は年度はじめからしか確保できないため
たいていの障碍児は春からの入所なのですが
うちの保育所は檸檬が入所する前のクラスの人数はなんと4人。
12月からの入所となりましたが
加配なしでも大丈夫だろうということで
途中入所を決断できました。

毎年12月の半ばには園での子供たちの様子を発表する会、
『生活発表会』があり
檸檬は実質ぶっつけ本番で舞台に立ちました。
先生と他の子たちがお芝居風にやり取りしている中
檸檬は指をしゃぶり舞台に立っていました。
最後まで舞台を離れることなく。

療育教室の先生とふたりでハラハラ見ていました。
最後まで舞台上にいられたことをふたりで喜んでいました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

診断。。。

療育教室と前後して、
ST(言語療法)とOT(作業療法)の訓練が始まりました。
そして発達検査。
当時はK式発達検査というもので
京都の児童福祉センターで作られたという検査が行われました。

その病院で一度目の検査。。。
検査道具が入っているアタッシュケースを檸檬目ざとく発見。
ひっくり返そうと探っています。
心理判定士の先生も檸檬の暴走にあたふた。。。
なかなか静止がきかない状態。

テストの間、親は横で子供の発達歴についてや
現在の困ったことなどについての
細かなアンケートがあり、
書くのにみっちりと時間がかかりました。

その後、先生から問診。
「ねぇ、見て見て、お母さんって指を指したりしました?」
「(かなり考えてみて)・・・・ないです。」

・・・そう、なかったです。
今、花梨や蜜柑を思い出すと分かるんだけど
何かを訴えようと指を指ししきりに「あ~あ~」とやる。。。
あれが全くと言っていいほどなかったんです。

その後いろいろと問診があり、検査は終わり。

K式は『姿勢・運動』 『認知・適応』 『言語・社会』の3分野に分けて
評価しますが、
結果ではどれも遅れている中で『言語・社会』の項目が
発達指数50代、発達年齢1歳代後半というかなりショックなものでした。
1回目の検査結果では診断が下りませんでしたが
半年後、2回目の検査結果で『広汎性発達障害』と診断が下りました。
「学校は普通学級も行ける可能性はあると思います。」という
ドクターの見方でした。

3歳半頃の檸檬の言語のレベルは一語文。
語彙はそれなりにあるものの、二語文につながらない。
指示が入らない。
手をつないでいられず、振り払ってどこかへ行ってしまう。
何か興味を引くものがあるとひっくり返すばかりで
玩具などは本来の使い方ができず
舐めたり噛んだりして壊してしまう。。。そういう状態でした。

しかし、半年後、手なんてつなげなかった檸檬が
療育教室の朝の会の時におひざの上に座ることができ
待つことができるようになっていました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

療育教室 ~通い始めて~

年が明けて
療育教室がきれいになった頃
檸檬は教室へ通い始めました。
まだ未就園だったので週2回の通園です。

その療育教室は手すりのついたスロープを
ぐるっと回り込んだところにありました。
飛び出した子が出て行きにくいためと聞かされました。
一応、自動ドアにはなっていましたが
そういう事情もあり、いつもスイッチはオフ。
両手でググっと押し開けて手動ドアでした。

ところで一番最初にまだ整理のつかない私の心に刺さったのが
玄関にあった「障害児デイケアサービス」の文字でした。

今ではすっかり笑い飛ばせますが
当時はまだまだそんなことにさえ動揺してしまう。。。
そんな弱い母親でした。

朝、通園してきて準備をし、定時になったら朝の会です。
母子全員と先生たちで挨拶をして音楽療法。
その後午前半分は母子一緒に工作、遊戯、料理などをやり、
午前半分は母子分離で先生とマンツーマンに近い形で
子供たちは課題をします。

その間、母親は別室にて主任の先生と共に交流。
主任の先生は5人の子沢山かあさんで
発達、育児などいろいろな相談に乗ってくれます。

あるときは通っている園や家庭での悩みなどで
みんな涙したり
今までできなかったあんなことができるようになったという
報告で喜んだり
想いを分かち合う内容の濃い交流でした。

お昼はお弁当。

午後からは自由遊び。
この時間帯に言語療法や作業療法の訓練へ出かけることも
多かったです。
その後終わりの会をして解散。

ここの療育教室の良いところは
同じ敷地内に医療部門、訓練部門、療育教室があることで
時間がとても効率的に使えることでした。

療育教室は母子両方のため。
親のフォローもすなわち子供のためにもなるんです。

いつの間にか「障害児」という言葉にさえ反応していた私も
幾分心がほぐれてきました。
檸檬もじっくり付き合ってもらえる療育教室は
とてもお気に入りの場となりました。

後に久しぶりに会った担当保健士さんが
「お母さん、明るくなりましたね。」
と声を掛けてくれました。

ここへ導かれてきたのは本当に良かった。
そんな実感が確かにありました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

療育教室 ~見学~

保健センターから紹介された療育教室は
とある重度知的障害者の施設が市から委託されたものでした。

早速、見学。
とても古い建物の中、ところどころすきま風が渡る中で
敷物を何枚も敷き詰めたところで子供たちが集まっていました。
どうやらその日は日も近くなったクリスマス会のゲームの練習だったようです。

檸檬、楽しそうな雰囲気を敏感にキャッチ。
積極奇異型のおかげで全く物怖じすることなく
見学の間中、ずっと楽しんでいたようです。

別の部屋では身体を動かせるよう遊具などが置いてあり
檸檬の好奇心爆発。。。。
なんせ、家にはないものばかりですから。

ところで、その療育教室、
あと1ヶ月ちょっとで新しい棟ができ、
今度はそちらへお引越しするとのことでした。

檸檬の通う頃には
新しいお部屋のようです。

今もその古い建物は残っています。
後にも先にも入ったのは見学の時の一回だけですが。。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

3歳半検診

3歳半検診の前、私とパパはちょっとした言い争いになりました。
実は3歳半検診の日はパパの誕生日でした。
だから忘れもしません・・・。

「そんなにしてまで行かないといけないものか?
日を変えたらいいのではないか?」
パパには行きたいところもあったのでしょうが
その時の私の心情はそんなことに配慮できるような余裕はなかったんです。
ただ、ひたすら不安感と戦っていました。

檸檬のことは全くパパに話しているわけではなかったんです。
でも、結局は躾への取り組みが悪いのか?
檸檬の個性なのか?
そんな話になっていました。

検尿は一時間近くトイレに檸檬を座らせて粘り
なんとか薄い尿が取れました。

準備をして檸檬と家を出、
保健センターへ。

すでに着いた子達はみんな会場に置かれたおもちゃや本で
楽しんでいるようでした。

檸檬は一旦その集まりに入ってはみたものの
ずっと何もせず立ちすくんだままでした。
ひどく、その集団の中でその様子が目立ちました。
少し離れた椅子に座りながら違和感を感じていたのを覚えています。

そのうち順番に何人かずつ呼ばれ
私たちの番になりました。
呼ばれて行ったところは視力検査のところでした。

他の子達は片目ずつカバーできる伊達めがねをかけ
楽しそうに保健婦さんたちの持つランドルト環の絵カードと
同じ方向にランドルト環を回して検査しています。

まず、片方の目隠し。
檸檬の目に伊達めがねが止まりました。
・・とともに止まらない伊達めがねでの遊び。
保健婦さんに促され、検査を受けようとしても
檸檬の伊達めがねへの好奇心は尽きないらしく
いろいろと持ち替えては遊んでいるようです。

次にプラスティックでできた大きなランドルト環に目が留まりました。
家ではコピーを厚紙で裏打ちしただけのもので
これとは違うものが出てきたので
またまた檸檬の好奇心がくすぐられたようです。

檸檬、ランドルト環と伊達めがねを片方ずつの手に持ち
周りのことはお構いなし。
・・・もう検査どころではありません。

次に向かったのは発達検査の会場。
最初は若い保健婦さんが担当していましたが
検査に使用する小物に檸檬が気をとられ
うまく検査に誘導できず少しベテランの保健婦さんのところへ
バトンタッチされました。

・・・しかし、檸檬、発達検査も不可。
次々と出てくる珍しいものに気を取られ、
それらが収められているらしいケースを見つけてあさっています。

「ちょっと指示が通らないのは、お母さん、しんどいねぇ・・。」
私の不安が的中。

その後別のところへ誘導され、
療育教室を紹介されました。

そういえば一歳半検診のとき、親子教室を紹介されたけど
これってそういう心配があったっていうことだったんだ。
うちは親子教室、あまり真剣に行かなかったなぁ。
遅れてるっていう実感あまりなかったものね。

親子教室の経験者ということもあり、
今度は療育教室を紹介されたわけです。

その日、私は檸檬を連れてすぐに帰ることができず
近くのスーパーに行きました。
しばらくそこで気持を切り替え
車で帰りついたのですが
正直どこをどうやって帰り着いたのか覚えていません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

檸檬の小さな頃②

3度目の大発作を出して入院が伸びていたその頃
我が家はマンション住まいから今の一戸建てへとお引越しをしました。

入院中私抜きで引越し作業は進み
退院後帰る家は違ったなんて不思議なことに・・・

今の家は周りを田畑に囲まれ、
家のある辺りが集落ごとポコッと浮いたような感じです。
どこへ行くにも車が欠かせない・・結構辺鄙なところです。

退院してからは毎日4回の吸入投薬、3回の内服薬という日が続きました。
少しでも咳をしようものなら・・・・とひやひやしていたものです。

同じ時期にお向かいに檸檬と同い年の子のいる家族が
引っ越してきました。
そしてしばらくして同じ集落の中にもう一人・・
みんな女の子で同い年。
これは長い付き合いになりそうです。

当然、母子共のお付き合いが始まりました。
連日なかなかきりのつかない子どもたちの遊びに付き合わされていました。

その中で私は一人、違和感を感じていました。

なんで、みんなは聞き分けがいいんだろう?
なんで、うちは言葉がなかなか進まないんだろう?
うちは檸檬の困ったことを止めさせるには
言葉がちっとも通じない。
そればかりか、私の言うことは聞いていないかのように振舞うし。

お向かいの女の子は私に
「こんなことができるの、見て見て~」とケンケンして見せたり
「こんな字が読めるの」なんて読みを披露してくれます。
その子は年の離れた兄弟がいるから
大人の中で育っているようなもの。
だからこの子はすごく発達が早い子だと思っていたのですが
どうもそうでもないみたい。
もうひとりの女の子はそれよりものんびりでしたが
檸檬のはるか先を行くような発達に見えました。

これって個性の範疇かなぁ・・??
育児も大変だぁ。
躾がとても難しいよ~~。

そう、この頃の檸檬、言葉の問題もあるものの
躾のしづらさがありました。
今思い出してみると自分の子を育てているという実感がないようです。

手をつなごうとするとパーっとどこかへいってしまう。
癇癪を起こすと手がつけられない。
毎回食事時にテーブルに上がりこむのを抑えられない。
単語でしか言葉が話せない。

3歳半検診の頃になり、
問診票が郵送されてきました。
そこで私は愕然としたわけです。

なんとチェック項目が高度なの?
檸檬にはできないことばかり・・・。
おまけに検尿なんて・・まだ、オムツなのに。
視力検査なんてとんでもない。
練習用のランドルト環なんて遊び道具にしかならないし。

不安だけがどんどん募っていきます。
そうだ、3歳半検診で見てもらおう。

そうして私は3歳半検診を待つことにしました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

檸檬の小さな頃①

檸檬は平成9年の初夏生まれ。
出生当時の体重は2,600グラムちょっと。
当時は小さ目かと思っていましたが最近は体重管理が厳しいせいか
2,000グラム台の子って多いそうですね。

うちの子たちはみんな小粒で育つ傾向のようです。
初めての子で小さめさんだったので
結構気にはしていましたがすくすく元気に育っていきました。
発達はややのんびりめなものの異常は見られませんでした。
あやすと声をあげてよく笑っていました。

1歳を前にしたあたりから風邪をよくひき、
病院に通うようになりました。
その頃は気にはしなかったのですが
「ちょっとゼロゼロする咳をするタイプの子だから
少し違うタイプのお薬出しておきますね。」
と言われていました。

一体どういうことだったのか・・

後になって思い知らされました。
結構キツイ小児喘息を患いました。

3歳前から発作をよく出し
就学前まで十数回の入院をしました。

初年度は大発作をわずか一ヶ月強くらいの間に3回起こし
3回目の入院にいたっては一ヶ月以上の入院となってしまいました。

あるときは薬が効きづらくなり酸素マスクに心拍モニター付きで
個室・・なんて物々しい状態のときもありました。
チアノーゼを出したのも見たことがありますし
強い発作で横になることもできずパニック状態だった檸檬を
ひたすら抱っこした夜もあります。

この頻発する発作が無かったら
多分冷静に檸檬の発達を見てひとり不安に駆られていたかもしれません。
しかし、その頃はそんなことを見ている余裕はありませんでした。

ただただ、喘息がよくなれば・・・と願うばかりの頃でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)