発達障害

トモコ先生のセミナーに行ってきました。。。

先週の水曜日は待ちに待った服巻智子先生のセミナーでした。
いつも書籍やネット上、少し前はテレビでお見かけしていた先生が
なんとわが街にもやってくると大興奮。。。o(*^▽^*)o
(とても、トモコ先生のワークショップとかには先立つものがなさ過ぎて
参加できないのですが、なんとこの日のセミナーは無料!)
パパも『休みを取って参加する』と気合いを入れて
ふたりで行って参りました。

時折トモコ先生のブログを覗いていて
一時はかなり行動が制限されるような体調があったり
(整形外科的なもののようでしたが)
いつしか見た番組では杖をついている様子を見たこともあったので
お身体の事を案じておりましたが
意外とお元気な様子で少し安心しました。

トモコ先生、冒頭に。。。

NHKの『プロフェッショナル』で
番組スタッフに2か月張り付かれていたにも関わらず
その出来栄えにご不満があったようで
ふと漏らされておりました。。。。

福祉関係のせいですかね?
きれいにまとめられ過ぎてるって。

今までいろいろな勉強会や講演を数少ないながら
経験してきましたが
トモコ先生のお話は結構統計的なことや
科学的なお話があったりで
それが結構新鮮だったりしました。

幼児・児童虐待、不登校、ひきこもり、反社会的行動などなど。。
こういう問題の人たちの7~8割が発達障碍のグループが
関わっているということ。

自閉症の発生率は全体の約2%。
そのうち知的障害を合併するのは約3分の1。
つまり知的遅れのない自閉症はその2倍いるということ。

自閉症は知的障害やその他の障害との重複障害があり
なかにはダウン症と自閉症の重複障害もあるということ。

定型発達の12か月児の脳と自閉症の12か月児の脳を
比べてみると
定型の子は母親を見ると左半球のやや中央寄りの部分が活性化され
好きなものを見ると左半球の側頭葉の部分が活性化される。
しかし、自閉症の子は母親を見た時は
定型の子が好きな物を見た時と同じ部分が活性化される。

。。。つまり、母親に愛着がまだ持てず
いわゆる物として反応していること。
(定型的に考えると悲しいけど。。)

でも、愛着は遅れて育ってくる。
他の感情も。。。

気がつけば檸檬の時もそうだったっけ。。。
それこそ3,4歳の頃なんかは迷子によくなるような子だったし、
親と離れるのもさほど抵抗なかったし、
気がついたら隣の家に来た宅配業者のお兄さんの後付いてってたし(-_-;)

年長だか1年だか、それくらいの頃から
ベタベタするようになってきましたっけ。。。
(今も年に不釣り合いなくらいベタベタするのだけど)

自閉症スペクトラムの子供たちは
虐待やいじめの被害者意識を持ちやすくて
親がよかれと思ってあれこれ叱咤激励したことを
『虐待されている』と真剣に思っていたりすることがよくあるらしい。

定型の子達は
『親はいろいろ思ってくれて言っている』と考えることはできるのだけれども。

だからこそ自閉症の子たちを『愛情』だけで育てることはできない。
自閉症の特性をしっかり科学的につかんで
それにあったノウハウで支援していかなければならない。。。

。。。だそうである。

じゃあそのノウハウってなんだというと
PECSとか、TEEACHとか
ソーシャルストーリーやコミック会話とか。。。

それから支援者が陥りやすい間違いも指摘されていました。

指示に従えたり、会話ができればそれでいいとか
学校に行ければそれでいいとか
普通を求めたり、いつか普通になれると信じたり
魔法を求めたり

。。など。

そうそう、私を含め親ってやつは
こういう間違いを起こしますよねぇ。。。
今でこそ自閉症は一生治らないと私もきっぱり言えるんですけど
障碍を受け入れきれてない時はよくこんな間違いをしたものです。

あと、私として興味深いものに
レジュメの資料の中に
興味の度合いと取り組みの姿勢の実際の統計のグラフがありまして。。。
(どういう検査の仕方をしたのかには触れられてはなかったのですが)

興味を強く惹きつけるものから興味の全くわかないものを
段階的に4つに分けると
定型さんはどの項目でも8~9割の割合で取り組めるのですが
自閉スペクトラムの人は興味の一番強いものとその次の段階のものには
定型さんには及ばないもののそれなりに姿勢を見せられるんですが
興味のうすいもの、全くないものでは
その確率がなんと2割を切ってしまうそうです。

興味のわかないことへ取り組ませたり
苦手な分野へ取り組ませたりするために
ご褒美が必要なのはこういう訳なんですね。
(だから自閉症の人へのご褒美は批難してはいけない)

。。。。なるほど、
檸檬がモチベーションの上がってる時とそうでない時の
取り組みの姿勢の大きな違いが裏付けられたって感じです。

すなわち、興味のないことには意識が向けられない。。。てことですよね。。。(^_^;)

どうりでモチベーションの上がらない朝の支度のすったもんだは
えらい苦労があるもんだわ。。。

檸檬が診断されて8年近くでしたっけ。。。
今までのことを思い出しながら
トモコ先生の話を聞くと納得すること多々。。。

でも、診断降りたての親御さんには
まだ実感がつかみにくい話かもしれないな。。。と感じました。

いただいたレジュメは、トモコ先生の使うパワーポイントの
画面がたくさん並んでたのですが
全部の説明ができきれず
ずいぶん飛ばされていました。

もっともっと時間が欲しかったなぁ~。。。
2時間ではとても惜しいというセミナーでした。
(本当はいろいろノウハウを学んだりするには
ワークショップなんかに行かなきゃいけないんですが。。。お高い。。)

トモコ先生の出版社、『From A Village』では
今度感情コントロールの支援プログラムの
『キャットキット』が紹介されています。。。
(開発者はトニー・アトウッド先生)

From A VillageのHPはこちら

しかし、この教材はセミナーに
参加しないと手に入らないそう。
それならせめてソーシャルストーリーのようにその入門書だけでも
作ってもらえないもんなのかなぁ~??と
少々残念な私でした。。。

最後に。。。この日のセミナーの様子が
地元新聞に載せられておりました。

その記事はこちら

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歯磨きの視覚支援

歯磨き大嫌いな檸檬と蜜柑。

面倒臭いというのと
多分、どれくらい磨いていいのか判らないのもあるのかなと
思って悩んでいたのですが。。。

半月ほど前、こんなのを発見。

K511860h_l

以前からタブレット錠の
『歯垢チェッカー』のようなものはあったのだけど

これは歯磨き液も兼ねています。

歯垢がピンクに染まるので
それを落としてやるように歯磨きすればいいわけです。

檸檬と蜜柑の反応は上々。
洗面台まで促すことができたら
そこそこ歯磨きができます。

この画像は大サイズですが
小さいサイズも味違いのフルーツミント味のもあります。
大人用にもペパーミント味が出ているようです。

歯磨き粉にしてはお高いですが
視覚支援グッズとしては最適?

こどもはみがき上手

はみがき上手

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転載をひととおり終えて。。

リタリン考は昨年終わらせたつもりですが
ここで少し補足を。。。

昨年「福祉ネットワーク」という番組を見ていました。
今回のリタリンの打ち止めでの不安、今後の代替薬などについて
解説がありました。
確かに成人のADHDの方たちに「塩酸メチルフェニデート(=リタリン)系」の
薬が一切処方されないことにも少し触れられていたのは
少し評価できるのですがまだまだ足りない感がありました。

これからもっともっと成人の方の実情を
メディアで広めていって欲しいとも思います。

ちなみにアメリカでは
「塩酸メチルフェニデート系」の薬は何種類かの選択があります。
今年から承認薬として使用されるコンサータは
リタリンの徐放剤(時間をかけて穏やかに長時間作用する薬)とありますが
リタリンとは効き方や相性もまた違ってきますし
飲む人のライフサイクルによって使い分けの必要性もあるかと思います。

コンサータはリタリンのように
細かい調整がしづらいという短所もあるそうです。

そもそもどうしてあれだけADHDに使われていた
リタリンが承認薬とならなかったのか、
成人の発達障碍を診断できる医師がほとんどいないこと、
鬱が安易に診断されること、
鬱を装って処方を受けようとする人間がいること。。

これらの問題が放置され
安易に処方を打ち切ったことが
そもそもの間違いだった。。と思います。

もちろん、リタリン、コンサータが効かない人たちもいます。
選ぶ権利、選ばないという権利、
両方必要です。

最後にADHD当事者、「ハートをつなごう」でおなじみ
へんちゃんのブログのHPと
福祉ネットワークのHP
そして今回転載した板のURLを貼っておきます。
ご興味のある方、どうぞ。

へんちゃんのブログ

(旧)http://yaplog.jp/henchan93dayo/
(新)http://ameblo.jp/rie-sasamori/page-3.html

福祉ネットワークのHP

http://www.nhk.or.jp/heart-net/fnet/index.html

Yahoo掲示板『発達障碍の子供達♪』

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=HL&action=m&board=1139820&tid=hafca3bec37a4nbbr6a1ca3a2v&sid=1139820&mid=1

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リタリン考。。。続き。

おっと忘れていました。。。

学童の子達へのリタリンのお話。。。

まずリタリンは効く子達と効かない子達がいる。
これは忘れてはならないですよね。

ADHDだからリタリン飲め。。っていうのは反対です。
ADHDの子達に対して上手くやっていける環境作りやスキルをやってから
その上での選択肢として考えるのは悪くないですが。

ところがどうも教育現場ではリタリン一番なんて感じが強かった気がします。
少なくともリタリンバッシングの前は。

だから効かないから薬を増量しろと言って
副作用ばかりのゾンビ化現象を起こさせるのは言語道断です。
嫌がる本人に強要するのも×ですね。。。

コンサータという違う名前の薬になって
同じことにならないことを祈るのみです。。。

薬と合わせて副作用のリスクを飲むのは親でもない、教師でもない。。。
子供本人なんですから。

ハイ、これで私のリタリン考は終わり。

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私のリタリン考。。。

ちょっと『お薬』のハナシがでてきたところで。。。

以前ニュースで報道がありました。。

リタリンのオーバードーズ問題がきっかけで
リタリンの適用から『鬱』をはずし
『ナルコプレシー』のみにされ
処方も厳しく管理されるようになったことで
実質ADHDやADDも使用できなくなったようですね。。。

一部の心無い人間が
簡単に診断がもらえる『鬱』を装い
リタリンを商売道具にする。。。

今まで正式な適用でなかったADHDやADDの人たちが
保険外でも処方を受けていたのができなくなり
子供だけは新薬『コンサータ』の適用可能に。

コンサータはリタリンの徐放剤
(じょほうざい、穏やかに時間をかけて効くお薬のことです)で
リタリンよりは穏やかに効くようにでき、
服用回数も少なくすむとか。。。

ただ、お薬のことですから
成分的に同じでも効き方などが変われば
当然合う合わないがあるから
リタリンの適用にADHDやADDも入れてあげて
自由に選ばせてあげればいいのに。。。。と感じます。

ここまで書くと
私はリタリン大いに肯定派と思われるかもしれませんが
肯定できないこともあるんですよねぇ。。。

確か以前リタリンの禁忌には就学前の子供があったと
どこかで聞いたのですが
実際では未就学の子達にもリタリンは結構処方されているみたいです。

副作用もあるし
それをうまく伝えることもできないだろうし
(発達障碍があればなおさらのこと。。。)
ちょっとそこが心配。。。

就学前の子供たちに薬を飲ませなきゃいけないくらい
今の園事情は厳しいのかなぁ。。?

大人にも子供にも厳しい世の中だからこそ
発達障碍の人たちが生き難くなったのかなぁ。。?

なんだかそんな気がしてならないです。

鬱が増えたのも発達障碍が増えたっていうのも。。。
それを物語っている気がします。

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特別支援教育支援員がやってきた

私のお邪魔しているブログの中で
全国版のニュースとして
『特別支援教育支援員』の記事に触れているものがありました。

普通学級で過ごす支援の必要な子達を
サポートする加配の支援員です。
その記事では各学校にひとりずつ配置すると書いてありました。

まぁ、全国区でのニュースだろうから
てっきり来年度くらいからかと思っていたら・・・

先々月あたりに地方紙の中で
うちの市の教育委員会が『特別支援教育支援員』を
市内の小中学校に配置するというニュースがありました。

「じゃあ、今年から??すご~~ぉぉい!」と思ってたら

昨日、檸檬が持って帰って来たプリントに
『特別支援教育支援員』赴任のお知らせが。

やはり、どこの学校も苦労してるから緊急措置だったんだなぁ・・。

学校の規模によったら一校あたり一人というのは少ないけど
まずは第一歩^^

あとは支援員の先生が専門知識を高めて
子供たちの困り感に寄り添ってくれることを祈ります。

私もまだその先生を拝見していませんが
多分檸檬がいち早くご挨拶申し上げていることでしょう。
よい支援をしていただけますように♪

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4年になってからのドリアン君

春休みもあとわずかという頃
私とパパは校長先生にお会いしました。

校長先生はお隣の学校へ異動になったとのことで
最後に私たちとお話がしたかったそうです。

檸檬は特別支援学級に移籍。
集中力を要する国語と算数はそのクラスで過ごし
残りは普通学級で過ごす予定。

そして担任のことは配慮をさせていただきましたと
お約束してもらいました。

てっきりそれで私たちは4年に上がっても
G先生が担任だと思い込んでいました。

そして始業式の日。
新しい先生の発表。

4年の担任は
以前、崩壊していたクラスを担任して建て直した実績のある男のN先生。

あれ???

そして特別支援学級の担任がなんとG先生。

かなり手厚い人事です。
校長先生の配慮の置き土産でした。

そして・・・教頭先生は異動なし。
しっかり檸檬の面倒を見てもらえますね(!?)

N先生は信頼感のある先生でした。
障碍のある檸檬とドリアン君を特別視することなく
個性としてみてくれるタイプの先生のようです。

特別視はしない・・・でも、ひとりひとりの個性に合わせた指導をする
そういう先生でした。
ドリアン君とは信頼関係作りを最初にしたいとおっしゃったそうです。

他では『特別視をしないから他の子と全く同じようにしてもらう』という
先生がたくさんいるんだそうですが。

この人事はドリアン君にもいい影響がありました。
ドリアン君も落ち着いて教室にいることが増えました。

落ち着いていられないときは
G先生の特別支援教室で檸檬と一緒にお勉強。

それでも落ち着かないときは教務主任の先生が
加配役のようでした。

一方、N先生が担任になったこと、
そしてクラスの子達が心理面での発達をしたため
クラスの雰囲気がまた変わったようで
ドリアン君に対して優しさを見せてくれる子が増えたそうです。

ただ、中には、またクラス外の子たちには
どうやらまだドリアン君を刺激して反応を楽しむような子がいるようで
大人の目の届かないようなところで
執拗にちょっかいをかけてくるようです。

ドリアン君もそういう子達を幾分無視できるようになってはきましたが
まだまだ発達途中。
怒りの気持ちが抑えられなくなり
行動に出してしまう時があります。

結局は手を出したドリアン君が悪いという結果になってしまう。

いじめは完全にはなくなりません。
悲しいけどなくならないんです。

あとはどれだけドリアン君が無視するスキルを高めていけるか。
周りが育ってどれくらい優しくなっていけるか。

こんな田舎だってそうなんです。
もっといろいろな子達がいる街中の学校は
発達障碍児には酷なところがあります。

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ドリアン君のお話・・・続き

去年記事に書いた檸檬のお友達のドリアン君。

とある方からいただいたコメで
その後全く記事を書いてなかったことに気付きました(大汗・・)

そうですよねぇ・・・
読んでいただいた皆さんはドリアン君の今が気になりますよね。

まずとても心配だったドリアン君の投薬について。

ドリアン君にリタリンが過剰投与され
いわゆる『ゾンビ化現象』になってから
主治医の先生にドリアン君のお母さんが相談。

まずはリタリンの量を元に戻しました。

しかし、減量してもドリアン君には
食欲が減ったりだるかったりといった副作用がまだあったため
彼は薬を拒否。

そして3学期に入る前にはお薬を止めました。

ちょうどその前にうちのパパが
校長室で『教育委員会を呼べ』と立てこもった事件がきっかけで
教育委員会が学校に指導を入れたこともあったのか
一気に学校側の態度は軟化。

ドリアン君に対する態度も幾分か改善されました。

しかしながら、まだまだお勉強が足りないのか
多少トラブルもあったらしいのですが。

それでもドリアン君を無理やり教室に縛り付けることをしなくなり
主に教務主任の先生が彼を見守りました。
そしていつの間にかこの先生とドリアン君の間に
信頼関係ができていったのです。
次第にドリアン君にも落ち着きが見られるようになりました。

そう、お薬じゃないんです。
彼と先生の間に信頼関係を気付くことが先決だったのです。

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われわれの存在を嘆くな。。。ニキさんのHPより

ニキさんのHP「自閉連邦在地球領事館付属図書館」の中から見つけました。
診断されて久しいですが、もう少し早く読めていたら
もしかしたらもっともっと早く檸檬に対する考え方が変えられたのかなぁ。。と思います。

なかなか我が子の、家族の障碍が受容できない方に。。。
結構長文ですが。。。

われわれの存在を嘆くな

ジム・シンクレア 

わが子が自閉だと知ったときのショックは忘れられない、これまで、あれ以上の衝撃を受けたことはない――そう語る親は多い。非自閉の人々は、自閉というものをとてつもない悲劇だと考えている。そして、自閉児をもった親は、子どもの成育や家族の歴史の節目ごとに、失望と悲嘆をくり返し味わいつづけるのだ。

だがこの悲嘆は、子どもの自閉そのものに由来するものではない。それは、待ち望んでいた健常の子、すっかり迎えるつもりでいた健常の子を失った悲嘆なのだ。親の姿勢。期待。「何歳になったらこれができるはず」「あれができるはず」という先入観と、現実の子どもの成長との落差。そのほうがむしろ、自閉者とともに送る日々の生活の困難以上に、緊張と苦しみを生んでいるではないか。

たしかにある程度の悲嘆は自然なものだろう。ずっと楽しみにしていたことが起こらない。待ち望んでいた結びつきは得られない――あなたはその現実に適応しなければならないのだから。けれどもこの悲嘆は、夢の中の健常の子どもを失った悲嘆であって、そのために、現実に目の前にいる子どもを見る目が歪められてはならない。目の前にいる自閉の子は現に大人の保護を必要としている。そして、機会さえ与えられたなら、保護者とのあいだに意義のある関係を結ぶことだってできるのだ。子どもの自閉をいつまでも悲劇の根源だという思いこみで扱いつづけるのは、親・子双方にとって有害であり、受容的な、真の親子関係が育つのをはばんでしまう。ぼくはここで、自閉の子をもつ親たちに強く訴える。自閉というものの意味に対する見かたを根本的に革めてほしい。自分たち自身のためにも、そして、子どもたちのためにも。

われわれにとって、自閉とはどんなものなのか、そしてあなたがたの悲嘆はどういう意味をもつのか、われわれ自閉者の目からしばし見なおしていただきたい。

自閉はわれわれの外側にあるものではない
自閉とは、病気のように「かかる」ものでもなければ、殻のように人を閉じこめているものでもない。自閉というものの裏側に、正常な子どもが隠れているわけではない。自閉とは、存在のありかたそのものだ。広汎性ということばのとおり、自閉はすべての領域に影響を及ぼしている。われわれのあらゆる経験、あらゆる感覚、知覚、思考、感情、そして出会い。われわれの存在はすべての意味において自閉に彩られている。自閉を人格から切り離すことなどできはしない。もしそんなことができたとしたら、その人をもはや、もとの同じ人間とよぶことはできないだろう。

これは大切なことだ――どうかここでよく考えてほしい。「自閉とは、存在のありかたそのものである。人格と自閉とを切り離すことはできない」

この考えかたに立ってみると、両親の口にすることばが、まったくちがった意味になってしまうことがわかるだろう。

「うちの子が自閉症でなかったらいいのに」

ということばの真の意味は、こういうことになる。

「自閉症の子じゃなくて、かわりに別の(自閉症でない)子がいればいいのに」

もう一度読んでほしい。これこそが、あなたがたがわれわれの存在を嘆くとき、われわれの耳に聞こえることばなのだ。どうかこの子を治してくださいと祈る声は、われわれの耳にはこう響いているのだ。あなたがたが深い愛情ゆえに、われわれのためを思って、願いを、望みを語るとき、われわれは思い知らされる。父母の一番の願いは、いつの日か自分の中身が消えうせて、だれか見知らぬ子、もっと愛を注げる別の子が自分の顔を引き継いでくれることなのだと。

自閉は心の壁ではない
あなたは自閉の子どもとつながりをもとうとする。だが子どもは応えない。子どもはあなたのほうを見ていない。親の手は届かない。関係が成りたつ望みはない――これほどの悲劇があるだろうか? 答えはただ一つ。「関係が成りたつ望みがない」という前提自体がまちがっている。

もう一度考えてほしい。あなたは親として子どもとかかわろうとする。健常の子どもを見て学んだ、子どもとは普通こんなものだという思いこみをもって。親になるとはこういうことのはずだという感覚にもとづいて。これまでの人間関係でつちかった経験と、勘をあてにして。だが子どもは、あなたの価値観、あなたの知っている文脈の中で理解できるような反応を返してはくれない。

しかし、だからといってそれは、その子には人と関わることがまったくできないということを意味するのではない。それはあなたの方で、本当は子どもが共有していない約束ごとを共有のものと思いこみ、子どもが理解していないシンボルや意味を理解していると決めつけているということを意味するにすぎない。それは、同じ国のことばを知らない人と、親しく話をしようとするようなものだといえる。もちろん相手にはあなたの言っていることは通じないし、予想どおりの反応も返ってこないだろう。それどころか、相手はすっかり困ってしまって、話しかけられること自体を不愉快に感じてしまったとしても不思議ではない。

自分と母国語を異にする相手と心を通わせあうには多少の努力がいるものだ。そして、自閉というのは単なる言語や文化のちがいより深部にまで至るちがいだと言える。自閉者たちは、どこの社会に行こうとも常に「異邦人」なのだから。あなたがたは、子どもにもこれくらいの意味はわかっているはずだという思いこみを捨てなければならないだろう。自分の意思を翻訳して伝えるため、あるいはそれが伝わったかどうか確かめるため、これまでついぞ改めてふり返ってみたことなどないほどの深いレベルまで、自分の思考を掘り下げてみることを強いられるだろう。自分の慣れ親しんだ領分に安住でき、自分の裁量でことを運べる安心感をあきらめなければならないだろう。そして、子どもに学んでその子の国のことばを覚え、子どもに手を引かれてその子の住む世界を案内してもらわなければならないだろう。

そして、たとえその努力が実ったとしても、結果はやはり、通常の親子関係と同じものにはならない。自閉者であるあなたの子は、ことばを話すことを覚え、普通学級に通い、大学にまで進むかもしれない。車を運転し、自活し、職業につくかもしれない。それでもなお、ほかの子どもたちが親に接するようなやりかたであなたに接してくれる日は来ないだろう。あるいは、あなたの子どもは一言もことばを発することなく、特殊教育を受け、作業所や入所施設に進むかもしれない。そして生涯にわたって、24時間態勢の介護や監視を必要とするかもしれない。だが、だからといって、その子が全くあなたの手の届かないところにいるというわけではない。われわれ自閉者は、ちがったやりかたで他者と関わるのだ。単に自分の思いこみで、これが普通だと思えるものを押しつけるだけでは、あなたがたは挫折し、失望を味わい、運命を恨みたくもなるだろう。さらには怒りを覚え、憎しみさえ感じるひともいるかもしれない。先入観を捨て去って、子どもの独自の世界に敬意を持って近づくなら、そして心を開いて新しいものごとを学ぶ姿勢があるなら、これまで想像してみたこともない世界を見いだすことができるはずだ。

そのとおり、それは非自閉の子どもと関わるよりも骨の折れることではあるだろう。しかし、それは不可能ではない――非自閉者の側が、われわれよりはるかに他者と関わる力で劣るというのでもないかぎり。われわれ自閉者は、他者と関わるための努力に、全生涯を費やすのだ。あなたがたのことばを覚え、あなたがたに話しかけることができるようになったすべての自閉者、あなたがたの社会でまがりなりにも生活することができているすべての自閉者、あなたがたに手を差しのべ、なんとか関係を結べるようになったすべての自閉者は、見知らぬ国で慣れぬ作業を続け、不可解な異民族と接触を図っているのだ。われわれは死ぬまでこれを続けていく。それなのにまだ、あなたがたは、われわれには人とつながることなどできないと言うのだ。

自閉は死ではない
たしかに、もうすぐ子どもが生まれるというときに、自閉の子が生まれることを期待する親などまずいないだろう。待ち望んでいたのは、自分たちと同じような子ども、自分たちと同じ世界を共有する子ども、そして、宇宙語のにわか勉強などしなくとも関われる子どもだろう。たとえ生まれてきた子になんらかの障害があったとしても、それが自閉以外の障害であれば、ふつうのコミュニケーションができる。障害のためにある程度の制限は受けるにせよ、たいていは、思っていたとおりのつながりを結ぶことができるだろう。

だが子どもが自閉児となるとそうはいかない。両親の悲しみの多くは、生まれてくるはずだった健常児とふつうのふれ合いをもてなかったことからきている。この喪失感は、まちがいなく現実のものだ。悲しむのは当然のことだし、きちんと向き合い、処理し、新しい生活を受け入れる準備をする必要がある。

しかし、それは自閉とはなんの関係もない問題なのだ。

つまりこういうこと――。あなたは大切な宝物を手にするはずだった。喜びに満たされ、胸を躍らせて待っていた。あるいは、しばらくの間、その宝を抱いたつもりでいたかもしれない。それなのに。ある人は少しずつ、ある人は突然、現実に直面させられる。待っていた子どもは、本当は生まれてこなかった。これからもけっして生まれてはこない。ほかに何人正常な子どもが生まれようとも、その子が生まれてこなかったという事実は変わらない。あなたが待っていた子、望んでいた子、当てにしていた子、夢見ていた子は、あなたのもとにはやってこなかったのだ。

これは、死産を経験した親、あるいは、生まれて間もない子に死なれた親が味わうのと同じ思いだといえるだろう。それは自閉の問題ではない。待ち望んでいたものを中途で奪われた悲嘆なのだから。この種の悲嘆を癒すべき本来の場所は、自閉のための団体などではなく、子どもを失った親のための死別カウンセリングや助け合いの会といった場ではないだろうか。死別カウンセリングの場で、子どもを失った親たちは、自分の味わった喪失と折り合いをつけることを学ぶ。忘れてしまうのではなく、過去のこととして改めて位置づけるのだ。毎日、朝から晩までしじゅう苦しみがよみがえってくるということのないように……。そして親たちは、わが子が本当に死んでしまったのだ、永久に戻ってはこないのだということを受け入れる。そして何よりも、死んだ子に対する思いを、生き残ったほかの子に負わせないことを学ぶのだ。このことは、生き残った子の中に、失くした子の死と入れ代わりに誕生した子がいる場合、特に大切な作業になる。

あなたは自閉ゆえに子どもを失ったのではない。あなたは子どもを失った。しかしそれは、あなたの待っていた子が生まれてこなかったためなのだ。それは、現に生まれて、生きている自閉の子の責任ではない。われわれ自閉者が背負うべき重荷ではない。われわれだって家族を必要としている。われわれだって、受け入れられるに値する存在だ。われわれに必要なのは、この世に生まれてさえこなかった子どもの亡霊に目を奪われるあまり、自分をまっすぐ見てくれないような家族ではない。本当の姿を見てくれて、ありのままの自分を大切にしてくれる家族なのだ。必要ならいくらでも嘆くがいい。失われた自らの夢のために。しかしわれわれのために嘆く必要はない。われわれは生きている。現実の存在なのだ。そして、ここにいて、あなたを待っているのだから。

自閉のための団体とは本来、何のためにあるものだろうか。ぼくはこう考える。得られなかったものを嘆く場ではなく、現に存在するものを深く知るための場であるべきではないのか。われわれはあなたがたを必要としている。あなたがたの協力と、理解が必要なのだ。あなたがたの社会は、われわれ自閉者に開かれた場とはいいがたい。非自閉者側からの強力な支援がなければ、われわれはこの社会で生き延びることができない。たしかに自閉には悲劇もつきまとう。だが、われわれのありかた自体が悲劇を生むのではない。われわれの身の上に起こることが悲劇だというだけだ。悲しみたければ悲しむのもよいだろう。しかし、力になるのは悲しみよりも憤り、そして行動のほうだ。われわれが存在することが悲劇なのではない。われわれの生きられる場所が、あなたがたの世界のどこにも存在しないことこそが悲劇なのだ。われわれの親その人が、自閉の子をこの世に送りだしたことをいつまでも嘆きつづけているかぎり、この世界のどこに、われわれの居場所など得られようはずがあろうか。

一度、ご自分のお子さんをじっくり見ていただきたい。そして、その子はあなたが待っていた別の子ではないことを、しっかりとかみしめてほしい。自分に言い聞かせてみよう。「この子は、私が期待していた子、予想していた子とは、別の子だ。子どもがお腹にいるあいだ、そしてあの陣痛のあいだ、思い描いた子とは、別の子だ。大きくなったらあれもいっしょにしよう、これもいっしょにやろう、と思っていたのとは、別の子だ。あの子は生まれてこなかった。この子は、あの子ではない」それから、静かにその場を離れ、気のすむまで嘆けばよい――ただしその子のいない場所で。それは、あなた自身のために必要な喪の作業なのだから。あなたは、失った子への思いを手放すことを学ばなければならないのだから。

そうして、もう一人の子を失ったことを受け入れられるようになってきたなら、戻ってきて、自閉の子どもをもう一度よく見ていただきたい。今度は自分にこういい聞かせてみよう。「この子は、私が待っていた子、予想していた子とは別の子だ。何かの事故で、空から私の目の前に落ちてきた異星人の子どもだ。この子はいったいどんな子なんだろう。どんな大人になるんだろう。でも確かに子どもにはちがいない。同じ種族の親と生き別れ、見知らぬ星にたった一人で不時着した、宇宙の子。だれかが世話をしなければいけない、だれかが導いてやらなくてはいけない、だれかが通訳してやらなければいけない、そしてだれかが権利を守ってやらなければいけない幼い生き物。この異星人の子は私の目の前に落ちてきたのだもの、その気になれば私が引き受けたっていいはずだ」

もしもこの話を読んで勇気がわいたという人がいたら、どうかわれわれの仲間になってほしい。勇気と決意とをもって、希望と喜びを手に、われわれのもとに集まってほしい。胸踊る一生があなたを待っている。

[This article was published in the "Our Voice," the newsletter of Autism Network International, Volume 1, Number 3, 1993. It is an outline of the presentation Sinclair gave at the 1993 International Conference on Autism in Toronto, and is addressed primarily to parents.]
(訳 ニキ リンコ)

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心配な檸檬のお友だち。。。。その4

結局ほんの数日ドリアン君は学校を休み
その後おうちの都合でしばらく休んでいました。
その後気分が替わったらしく学校へ復帰しました。

しかし、どう考えても学校側の対応に疑問の多いドリアン君。

対応のまずさというのは
珍しい話ではないのですが
(といって、許されるものではないのですが)
もっともっと許されないことが。。。

ADHDをご存知の方ならどなたでもご存知のお薬『リタリン』。
彼は2年からこれを処方されて服薬しています。

確かにもう少し授業中落ち着けるようにと
アドバイスをもらっていたのは事実です。
しかし、2年の時、3学期は担任の先生との人間関係ができたおかげか
服薬なしで過ごせるようになっていたそうです。

ところが、3年に上がりまた服薬を再開しても、
ドリアン君が落ち着かないのを見た学校側、
なんとドリアン君のお母さんに
もっと強い薬は出せないかと打診してきたそうです。

もともと薬には抵抗のあったドリアン君のお母さん、
かなり悩まれたようですが主治医の先生に相談。
主治医の先生もよい顔をされなかったそうですが
結局リタリンの増量となったそうです。

リタリンという薬、多動・注意欠陥傾向のお子さんに有効とかで
何年か前はアメリカでかなりもてはやされた薬ですが
現在は手のひらを返したようにリタリン叩きが起こっています。

もともと麻薬などと同じような作用をするお薬らしく
耐性が出たり依存性が出たりなかなか問題の多いお薬で
日本でも長期服用に関しては警告がされているお薬です。

やはり副作用は出るらしく
ドリアン君は以前の量でもだるさや食欲不振があったのですが
増量したためにそれらの副作用が強くなってしまったそうです。

ある朝、ドリアン君のお薬の増量の事実なんて知らなかった私、
檸檬を教室まで送っていったときに
いつもと違うドリアン君の様子に違和感を覚えました。

いつもなら花梨を抱っこしている私を見かけると
飛んでこずにはいられないはずの彼が
その時は椅子に座ったまま、ボーっとした感じで
私に気づくと軽く手を挙げた程度でした。

いつもの彼じゃない・・・。

後でドリアン君のお母さんにリタリン増量のいきさつを聞かされ
驚くのとともに憤りを感じました。

リタリンを適量使うと
頭の中がとてもクリアになって
勉強に集中できる・・・
副作用はあるけど、利点も多いので
服薬している人は多いとは思います。

でも、ドリアン君の場合は
それどころでなく勉強なんて集中できる状況じゃない。

薬はやめた方がいいのではないか?
それで学校が露骨に嫌がるなら
学校に行かなくていいんじゃないか?
ドリアン君のお母さんに言いました。
多分彼女だってそう思っているはず。

彼が立ち歩いたり、暴れたりする本当の原因を全く考えず
薬の増量だけさせる学校が許せない!
誰のための投薬なの??

心が痛いです。
子どもにこんなリスクを背負わせる教育の場って絶対おかしい。

檸檬に対する対応の違いとあまりに違う学校の仕打ちに
ただただ愕然とするだけです。。。。

こう感じる私がおかしいのか?
学校がおかしいのか?
教育現場ではこれが普通なの??

他人事のはずなのに。。。どうにも気持がおさまらないです。

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心配な檸檬のお友だち。。。。その3

ドリアン君も檸檬と同様、教室にいられない状況でした。
今までからは想像もつかないような落ち着きのなさで
泣き喚く。。。
とある先生は「本当にどうかしてしまったのでは?」というくらい
ドリアン君の状況は落ち着きがない。
でも、それでもドリアン君は学校を休みません。
ドリアン君のお母さんが学校へ通うことになりました。
お仕事を持っているお母さんなので
毎日ではありませんでしたが
時間を見つけては学校へ通っていました。

運動会も近づいたある日、事件が起こりました。
その時はお母さんはお仕事でいませんでしたが
妹さんがその場にいたために分かったことです。

教頭先生がドリアン君を無理やり練習に参加させようとしたものの
反抗して逃げたドリアン君を追い回し
しまいには小教室へ彼を押し込んで
パニックにさせてしまったというのです。

お母さんが学校に確認を取ると事実でした。
学校側の言い分では
彼のクールダウンを図るためと周囲の子の安全のためで
対応に間違いはなかったと。。。。
長い時間の話し合いにも関わらず
学校側はこの一点張りでお母さんの言い分とはずっと平行線。

練習に促したのも適切で
「お子さんが恥をかかないように練習に参加させてあげたかった」
ともっともらしい理由をつけています。
本当はその地点でもっと彼の気持に沿って
少し練習の参加のさせ方を考えてあげればよかっただけのこと。
その場にいて見るというだけでも立派な参加の仕方なのです。

周囲の子の安全、それはごもっともです。
しかし場所の替え方に問題があること
彼の了解もなしに強制的に閉じ込めるというのはどうなんでしょうか?

いつも学校の対応は
『困った』彼の行動を押さえ込むことだけに終始し、
原因には一切関知しないようでした。
そして、「暴れたから対応した」といつも言うのですが
どうも、学校側の方が無理やり押さえつけては
彼を暴れさせているようで
目撃していた子どもたちやドリアン君の言い分と
学校側の言い分がいつも百八十度違う。

彼が暴れる背景には
彼をつついてわざと怒らせ暴れさせては
彼を悪者にする子、
反応を見て面白がる子の存在もあります。

学校側はこの点にはほとんど目を向けず
『トラブルメーカー(あくまでも学校側から見た姿です)』の
彼を押さえ込むことだけをしています。
また、そのことでさらにことを悪くしています。

ドリアン君、事件のあった次の日も
いつも通り学校へ行きました。
「お母さん、僕学校へ行くから
お仕事休まないでね。」
と言って。

どうしてそんなにしてまで学校へ行かないといけないの?
たくさん、いやな想いをしてるのに
どうして檸檬のように学校へ行かないことを選ばないの?

。。。痛々しいドリアン君の姿が
私の心に突き刺さります。

所詮運動会なんて
学校の見得の発表会のようなもの。
そんなのに振り回されるなんて。。。
そんな想いさえ持ってしまいます。

私はドリアン君のお母さんに
適応指導教室の窓口役の相談のN先生に
相談することを進めました。

これだけ学校と話し合ってどうにもならないなら
外部へ持っていくしかなさそうです。。。

間もなくしてドリアン君は
「学校を休む」と言いました。
お母さんはN先生への相談を決めました。

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心配な檸檬のお友だち。。。。その2

1年の時の担任の先生の導きがあって
診断に至ったドリアン君。

2年になり、ADHDの子を受け持った経験のあるO先生が
担任を引き継がれました。

その先生、ドリアン君タイプのお子さんの経験はあるらしいのですが
うちの檸檬のようなアスペルガーの子は初めて。
最初はどうなるかと思いきや
ものすごく勉強熱心な先生で
年度始めにはことあるごとに
「お母さ~ん、教えて!」と捕まえられたものでしたが
年度の途中からは
「お母さん、任せて!!」に変わっていました。

もちろん、最初は人間関係ができていないことや
O先生の不慣れもあって
檸檬も学校の行き渋りがあった時期もありましたが
いつ頃からかは檸檬のみならずドリアン君ともしっかり人間関係ができていました。
ドリアン君なんて、もうO先生の弟子みたいな存在でした。

そして、3年。。。。
また担任の先生が変わり、今度はさらに経験のあるG先生が引き継がれました。

しかし、ドリアン君は落ち着かない。
檸檬は登校拒否。
他にも心配なお子さんがいるようでその子も落ち着かない有様。

檸檬は適応指導教室で週の半分を過ごすようになって
いくぶん落ち着きつつありますが、
相変わらず3年のクラスにしか居場所を許されなかったドリアン君。
障害児学級にも保健室にも居場所を探してみたけれど
どうも本当に居場所にはなり得なかった。

教室の外の隣のクラスとの共有スペースに出ることまでは許されたものの
それ以上は移動することを認められなかったようです。

スペースからも脱走しようものなら校長先生や教頭先生が
押さえ込みに来るようでした。
無理やり引き戻され、教室に連れ戻されても
ドリアン君、ますます落ち着かなかったと思います。
檸檬も登校を渋る前は出て行こうとして引き戻される・・
そんなこともあったようです。

檸檬、そんな教室の様子を見たことも
登校拒否の一因だったんでしょうね、今になってそう思います。
行き渋った頃、「先生が怖い」としきりに言っていました。
ストレス耐性の低い檸檬、ますますそれで不安定になって
聴覚が敏感になり、給食が受け付けられない。
そして教室にいられない・・・の悪循環にはまったのでしょう。

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心配な檸檬のお友だち。。。

あまり、ウェブ上で家族以外の人について
書きたくはなかったのですが
どうしても心配でたまらない檸檬のお友達がいます。

同じクラスに発達障害を持ったお友達がいます。
ここではドリアン君と表記します。。。

彼はADHD(注意欠陥他動性障害)で衝動性が強いお子さんです。
授業中ずっと座っていられないこともしばしば。
でも、好きなことに対しては並々ならぬ集中力を発揮したりもします。

ADHDとは・・?という方、えじそんくらぶのHP内「基礎知識」を
ご参照ください。

彼は1年の終わり頃、診断を受けたようです。
入学してからというもの、どうしてもカッとして手が出てしまい、
それでトラブルを起こしているようでした。
当時、彼のお母さんは大きなお腹で
うちにも謝りにやって来ました。

しかし、よくよく聞いてみると
学校で害獣よけの柵に触ってはいけないと教えられていたのに
下校中に檸檬が触ったようです。
彼はそれを注意するつもりが手が出てしまい、
傘を振り回したそうです。

結局、うちにも一因はあったし、
謝りにも来てくれた。
もちろん手をあげるのはいけないこと。
これからは注意しようねと別れました。

そのときの私の彼に対する印象は
「悪気で手を挙げるような子に見えない」でした。

トラブルが起こってからその子のお母さんは
彼の登下校についていました。

そのかいあってかそれきりうちはドリアン君と接することは
1年のときはありませんでした。

2年に上がったかどうかという頃でした。
ドリアン君のお母さんが声を掛けてきました。
「確か、ことばの教室に行かれてるんですよね。
うちもこれから通うことになりました。」

それが我が家とドリアン君のお家とのお付き合いの始まりです。

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アスペルガー症候群

「自閉症」については漫画やドラマでかなり取り上げてこられました。
多分、症状がわりと顕著に表せるから題材にしやすいのでしょうか・・?

「アスペルガー症候群」って何?っていう方がほとんどかもしれません。

簡単に言っちゃうと知的や言葉の遅れのない
「自閉症」です。

自閉症については先日書きました。
本質は変わりはありません。

重度の自閉症が「カナー」型
軽度でかつ、言葉に遅れがあまりないタイプが「アスペルガー」型と呼ばれます。
それぞれの名前は発見した人の名前です。

現れ方には双方違いはあるのですが
実はカナー型もアスペルガー型も一つの連続体だとする説が出てきました。
これを「自閉症スペクトラム」と呼びます。
その説を出したのがローナ・ウィングという人。
それがつい30年ほど前のこと。
ここ10年くらいでやっと専門家の中でも認識されてきたようです。

アスペルガー症候群について結構分かりやすく載せているのが
日本自閉症協会東京支部のHP内
アスペルガー症候群を知っていますか?です。
余力のある方は目を通してみてください^^

細かいことはさておき(何のことはない、全部書くのが辛いだけなのですが)
私が普段檸檬を見ていて「アスペ」だと感じる特徴が・・・

・話し言葉が不自然

口語的というより文語的な話し方をします。
ある時は文章の朗読だったり、またある時は標語調だったり。
ところどころ歳不相応にも思える難しい単語を混ぜて話すのですが
それがまた全体的にすごくアンバランスに感じます。

・とんでもないお喋り

とにかく喋りまくります。
「黙って」と制しても3分も持ちません。
その時に頭に浮かんだそのままを口にします。
自分の言動を周囲はどう理解するかが分からないため
そのことで時々トラブルになります。
決して悪気はないんです。
分からないだけです。

自分の興味のあることだけ一方的に
どんどん話題を変えては矢継ぎ早に話しています。

双方向性のある「会話」とは呼びづらいかな・・(^_^;)
でもちゃんと会話できるときも意外と多いんです。

・相手の感情を読み取れない

これはかなりのハンディです。
知的には問題がないため単なる性格の悪さだと誤解されます。

・パニック、心のコントロール

檸檬は在る程度物事の善悪は一応わかってはいるようです。
しかしながら気分の切り替えが苦手で
コントロールができないことがしばしば。
それが顕著になると暴発してパニックとなります。

健常の人の脳は
物事の優先順位をつけて整理し、情報を処理できますが
どうやらこの辺が弱いようです。
自閉症の人の脳は混乱をきたしてしまい
コントロールができなくなってしまいます。

・あいまいなことが分からない

「ちゃんとしなさい」「適当に」・・分かりません。
「暗黙の了解」なんて最大の敵です。
「阿吽(あうん)の呼吸」なんて論外です。

比喩表現も分からず、ストレートに受け取ります。

この辺が対人関係を厳しくしています。
融通が利かないとも言われると思います。

・失敗体験を恐れる

一度何かに失敗するとそれをひきずって克服するのに
物凄く時間がかかります。
一線を一旦引いてしまうとそこから先に進めません。
克服するにはどんな些細な前進でも「成功体験」として
褒めて少しずつ自信をつけさせてやることがいいそうです。

・ものすごい集中力と記憶力

ただし、これは本人の気の向いたときだけ。
逆に気の向かないことをするときなんて人の何倍も何十倍も時間がかかる。
または時間をかけてもできない。
決して能力がないというのではないんです。
本当に動かなくなるというだけです。

このメリハリのせいなんでしょうか?
集中力を発揮できる分野において天才と呼ばれる人もいます。
名前は挙げませんが、著名人のなかには
アスペルガーで有名な人、います。

もちろん、みんながみんな、そういう訳にはいきませんが
いわゆる専門性を身に付けている人たちの中には
アスペルガーの方が多いと聞きます。

・不器用

運動が苦手です。
恐怖心も手伝い、なかなか克服できない運動もあります。

・視覚の優位性・他の感覚

やはり視覚が優位のようです。
普段はあまり気になりませんが混乱したときは特に顕著に出ます。

聴覚や触覚、味覚にはあまり敏感なところはありませんが
まわりでざわざわされると集中でききれないようです。

・同年代と波長が合わない

リードしてあわせてくれる年上か
自分が仕切れる年下を好みます。

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自閉症

まずは自閉症について・・から。

檸檬の障害、「アスペルガー症候群」はこのグループに属します。

では、みなさん、「自閉症」ってどういうものでしょうか?

昨今、ドラマや映画でその認知度は広がってきたとは思いますが
まだまだご存知でない方も多いはず。
字から受けるイメージとしては
「心を閉ざしてる」とか「ひきこもり」とかが
多いとは思いますが

自閉症とは先天的な脳機能障害です

よく誤解されますが

決してしつけや環境などで起こるものではないということ。

このことは充分ご理解いただきたいです。

生まれながらの障害ですから現代医学では今のところ
病気のように治ることはありません。
だから、「病気」とは呼びません。
しかし、早期からの訓練、療育によって
障害は軽減されることも多いのです。

主な症状は次の3つです。

1.社会性の発達の障害

 他の人と関わろうとしないか、関わり方が変わっている。
 通常の愛着表現が育ちにくい。
 模倣が苦手。
 他人から求められていることが判りにくい。
 他の人と共感したり、やりとりするのが苦手。
 相手の感情を慮ることが苦手。

定型発達の人では幼少期から自然に身に付けていけることが
自閉症の人には難しいようです。
自閉症の子を持つ母親はこの特性のために
「他人の子どもを育てているような」感覚を覚えることが多いです。
「視線が合わない」「指差しをしない」などというのはここからきてるんですね。

2.言語発達やコミュニケーションの障害

 実用的な話し言葉がないか、少ない。(言葉がほとんどない人もいます)
 オウム返し。(エコラリアといいます。理解できていないときによく出ます。)
 人称代名詞がひっくり返る。
 場にそぐわない言葉をくり返す。
 (気に入ったせりふやフレーズをくり返す、同じ質問をくり返す・・など)
 人の身振りの意味が伝わりにくい。

3.反復的な行動、特定の物事へのこだわり

 おもちゃの本来の使い方をしない。(車を一列に並べる・・など)
 常同的な身体運動。(手をヒラヒラさせる、ピョンピョン跳ねる・・など)
 変化を嫌う。(同じ道順や手順にこだわる、同じ場所では同じことをするなど)
 自分で作ったルールにこだわって譲らない。
 思い通りにならないと癇癪を起こし、時にはパニックに。

自分の思ったことやいつもの手順などから外れると不安になるそうです。
想像力が働かないから未知の物は安心できません。
それを上手く表現できないため他の人には「わがまま」とか「頑固」に見えるわけです。

 
他には・・・
 感覚(視覚、聴覚、嗅覚、触覚など)が過敏、逆に鈍感、学習の障害、
 運動などの不器用さ・・などなど。

知的な遅れはまた別のものなのですが、自閉症の七割程度の人は
知的な遅れも伴うようです。

今、思い起こしてみれば、檸檬も3歳ごろはこの3つ組み、結構ドンピシャなんだなぁ・・(-_-;)
部分部分は違うにしても。

一言で「自閉症」と言っても現れ方はその人その人によって様々です。

・・・ところで私、こんなのを見つけました。

すだてつさん自閉症4コマまんが「たいちゃん」 

自閉症の方が身近にいらっしゃる方、思わず「あるある」なんて笑っちゃうかも(* ̄m ̄)
よく特徴を表しています。
どうして「たいちゃん」がそうなっちゃうのか・・解説付き。

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